瓢箪鯰的な男の雑記帳

心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくる そんな雑記帳

ニヒリズム的ななんとかかんとか

前の中書王・九条大政大臣・花園左大臣、みな、族絶えむことを願い給へり。染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、世継の翁の物語には言へる。聖徳太子の、御墓をかねて築かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。 (徒然草・第六段)

********************************

・私にもこう見えて若いころがありましてね
 まぁ、やっぱり人並みに悩んだりしたのですよ。
「自分のレーゾンデートルは何ぞや~」みたいなさ。
で、そんなん分かんないわけじゃないですか。当時は体調も悪かったし。
あ~あ、昔は青臭かった。青臭かったねぇ。

・友達がぽっくり死んじゃってさ
 社会人になりたての頃だったか。
昼寝してたら友達の訃報が入ってね。
いやぁまさかだよ。ついこないだ会ったばっかりなのにサ。

・「人は死して名を残す」
 爺さんからそんなこと言われて育てられた気もするんだが
友人の遺体を目の前にしてさ、やっぱり色々考えるのですよ。
30歳にもならんで、不慮の事故で亡くなって
この友達の人生ってなんだったんだろうって。
何かを為す前に亡くなったしさ。
その時思っちゃったのよ。名前を残して死ぬって大変だなってことに。
この友達の記憶も、その肉親と知人が生きている今後数十年の命だしね。
生きた証と言えば、大学の図書館に眠ってる学位論文くらいなものでね。

・よくよく考えたら
 平安の左大臣・右大臣だってさ、みんな知ってそうなのって道長・頼道くらいなもんで
良房だ冬嗣だなんてのは、一部の歴史好きしか出てこない名前でさ。
そっか、左大臣・右大臣になったって千年も名前は残らんのかぁ
時の流れはなんて残酷なんや、なんて考えてしまった。

・ま、残さなくていいじゃん
 そそそ、名前なんか残らなくてよい。自分の生きた痕跡なんかなくてもよい。
大和の大王だって墓が比定できないの、たくさんいるしね。
ま、世の中そんなものなんです。
そう思ったら随分とラクになった。それでよいのです。

知人の古い日記を見ていたら
そんなこと考えてた昔が思い出されたってだけでね。
日々徒然。徒然。そ、徒然で良かったの。

久しぶりに読んだ本のお話

「其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るのだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな。」
 ー小林秀雄『無常ということ』

*******************************

 今日はやることもなかったので、なんとなく昔読んだ本を読んでいた。

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

『無常ということ』は、たまに本棚から引っ張り出してくるお気に入りの短編である。
高校生の頃国語の教員がこれを教材として使ったのが、本書との邂逅である(よく考えたら吉田満の『戦艦大和ノ最後』を教材にするという凄まじい教員だった)。
戦艦大和ノ最期 (1974年)

戦艦大和ノ最期 (1974年)

当時は何を言っているのか書いているのかさっぱり分からず、適当に放り投げてしまったものであるが
あれから20年以上も経つと、同じ本でも違う感情を抱くようになるのが、とても不思議であり新鮮なものである。

*******************************

 小学生の頃だったか、年末のテレビで忠臣蔵を見た時に
なにゆえ大石内蔵助以下四十七人は腹を切らねばならなかったのか、良く分からなかった。
荻生徂徠と思しき人物が、後々討ち入りに行った者たちのことを慮り(忠臣蔵では当然ながら大石内蔵助に義があるように演出される)
死を賜うべきであると滔々と論じ、事態は実際にそのように展開する。

*******************************

 荻生の言い分は、もしこの四十七人を下手に生かしておいて晩節を汚すようなことがあれば、
赤穂事件の美しい物語は汚されてしまうため、ここで敢えて死を賜うことによって
そのような可能性を完全に排除するためである、というものであった。
なるほど、これであれば四十七士は永遠の義士として残り、
そして300年経た現在でも語り継がれている。荻生の狙いは当たったと言えよう。

*******************************

 四十七士が日頃どのような生活をしていたのかは、私にはあまり良く分からない。
四十七人もいれば人倫に悖るようなことをしていた連中もいるであったろうとは思うが
義から死にかけての美しい物語の中でそれらは捨象され、美しい歴史のみが残ってしまった。

*******************************

 しかしそれで良かったのである。
その美しい物語が私たちに余計な思いをさせないから。






 

体系としての経済学と方法論としての統計学②

「私は比較級や最上級のことばを用いたり、思弁的な議論をするかわりに、自分の言わんとするところを数(number)重量(weight)尺度(measure)を用いて表現する」 ウィリアム・ペティ(1623-1687)

********************************

 社会科学(当時としてはそういう意識はなかったろうが)にデータを本格的に持ち込んできたのは、ウィリアム・ペティであることは概ねのコンセンサスを得られるところであろうと思う。
 実験が基本的に不可能な経済学は、科学的であろうとすればどうしても「統計」との間を行ったり来たりするはずであるのだが、
 「一九世紀以降、経済学と統計学の関係はお互いに不幸であったと言わざるを得ない。統計学は経済学に重要な事実資料を提起するものであろう。経済学は統計数字の変動を説明するべきであったにも関わらず、一九世紀以降一九三〇年代マクロ経済学計量経済学の成立まで、両者は殆ど関係を持つことがなかった。スミス以後の古典経済学が重商主義と結びついた政治算術学派を否定して以来、経済学が統計数字を用いることはほとんどなくなってしまった(竹内啓『経済学と統計学のあいだ』P83~84)」
 意外や意外、大恐慌あたりまではこのような形であったようである。

********************************

 人類が自然を理解する「科学」という方法を取得したのは存外新しく、17世紀のニュートンからである。
現実の観測、観測結果を演繹的に説明できるいくつかの諸原理の発見、その諸原理から演繹的に導き出された予測結果と観測事実の突合、これら3つをまとめたのがニュートンであった。

 社会科学においても、1699年にG・キングが穀物の需要関数を原始的な方法ながら推計している(ガウスによる最小二乗法の発明は1800年頃である)。
F・ケネーは重農主義の立場から「経済表」という、今日でいうところの産業連関表の原型を作成している。
太陽系の解明にチコ・プラーエの収集した天文データが重要な役割を果たしているが
(体系はなかったとはいえ)経済学もその初期においては分析対象に対して、データからの接近が試みられていた。
『政治算術』をA・スミスが否定した理由は良く分からないが、A・スミスの道徳としての『国富論』と相容れなかった(A・スミスは『道徳感情論』も記している)ためではないかと、J・シュンペーターは後年言っている。

********************************

 何かしらの経済的な現実を説明したい把握したいというときに、経済学者と統計学者は驚くほど違う方向からアプローチしているように思える。
前者は議論となる諸前提を仮定し現実をモデリングした上で、そこから演繹的に導き出した結論とデータが一致しているか、というアプローチを採っている。
それに比べて統計学者は、関係のありそうな変数同士を取りあえずいくつか持ち込んでみて、グラフ化したり相関係数を取るなどして(細心の注意を払ったうえで)変数間の関係はどうであるかとか、その関係性は安定的か否かであるかとか、なんとなくおぼろげなうちから探索を始めるようである。
同じ問題に対して、右からアプローチするのか左からアプローチするのか、全くもって様相が違うのである。
 このような統計学者的なアプローチは、諸問題の解決の糸口を探ったり、最終的な構造の把握に至る過程では極めて強力である。
それに対して経済学者的なアプローチは、諸問題の構造がある程度把握できた後で他の問題を解決するためには強力な方法であると思う。

********************************

 経済学者的アプローチからすれば統計学者的なアプローチは、ある種の公理系を持たないという意味で「厳密性に欠ける」と思うであろうし
統計学者から見て経済学者的なアプローチは、データという根拠なきままにモデルを組むという点において、地に足がついていない感覚に陥るのではないかと思う。
この両者の懸隔は、どちらが優れている優れてないという話ではなく、アプローチの仕方による性質の違いであって
現実データから保証を得られない前提を持つ経済モデルは意味を為さないであろうし、
「取りあえずあるだけ」のデータは、理論的な何かを帰納的に導き出し得ないであろう。

********************************

 このように考えていくと統計学的なアプローチは問題の構造の把握が終わってしまえばお払い箱のように思われるが
社会問題が今まで途切れたことがないし、これからも途切れないであろうであるから
統計学的アプローチそのものの研究はなされるべきであろうと思う。
今後現出する社会問題は、それ自身が経済的問題であるとか社会学的な問題であるというような名札を付けて現れてくるわけではなく、よってその問題に経済学のツールを用いることが適切かどうか分からないこともある。
このように問題がモヤモヤしてハッキリしない段階においては、やはり統計学的なアプローチは極めて有効であると言わざるを得ない。
そして統計学発達の歴史は、扱うデータの特性の変化と共にあったとも言え(時系列分析などそうであろう)、今後もクセのあるデータが出てくれば分析手法を変える必要性が生じることは言うまでもない。
そしてその積み重ねが、方法論としての統計学の発展そのものになると言える。

********************************

 経済学者と統計学者の間にはまだ溝があると思えることもあるが(「理論なき計測問題等」)、実は問題へのアプローチの方向性が違うだけとしか思えない。
経済学者はより理論を厳密にすべく現実を説明するためにデータの助けを必要とするだろうし、統計学はデータそのものが発展の母体となるのだ。

********************************

 そんなことを思いながら、今宵も適当にVARに変数を突っ込んで遊ぶのである。

体系としての経済学と方法論としての統計学①

第6問:物理学は公理化できるか(『ヒルベルト23の問題』)
困難は分割せよ(ルネ・デカルト

********************************

Twitter上で何気ないやりとりから、学生時代にこんな本を読んだのを思い出したので
ちょっとAmazonでぽちって読み直している。

『統計学と経済学のあいだ』(竹内啓著)
途中ではあるのだが、色々考えさせられたので取り留めもなく筆を執ってみた。

********************************

 経済学は「社会科学の女王」と言われることがあるのだがその理由としては、「科学的方法」をそのままトレースしていることが挙げられるだろう。
科学的方法で重要な考え方の一つとして、複雑な現実をいくつかの要素に還元していくという「要素論」が挙げられる。ニュートンは「運動の法則」を「取りあえず無批判」に受け入れることで、地球上の物体の動きや惑星の動きなどを明らかにしたし、アインシュタイン光速度不変の原則を受け入れることで、特殊相対論の理論体系を構築している。経済学においてもこのような要素として、「ホモ・エコノミクス」という概念に到達した。
経済学がこの「ホモ・エコノミクス」が非人間であるであるとか、そのような合理的な人間はいないという誹りを受けることが多い。このような非難に対しては真摯に受け止めなくてはならない部分もあるが、だからといって「ホモ・エコノミクス」からなる理論体系を全て捨ててしまうというのには、どうしても賛成できない。科学的な分析にに則るならば、どうしても森羅万象をいくつか切り捨てて、簡略された(その理論体系では一旦は無批判に受け入れなくてはならない)抽象概念から出発せねばならないからである。
ユークリッド幾何学が5つの基本的な公準から初等幾何学の伽藍を作っているように、ニュートン物理学もいくつかの諸原理、ワルラス流の経済学も「ホモ・エコノミクス」というある種の原理から出発しているのである。
理論展開の形式を見れば、数学も物理学も経済学も同じ形式をとっていることは強調しておきたい。

********************************

 理論体系の価値は、どれだけ現実世界をその理論で表せるかで決まることは、それほど多くの批判はないと思われる。
最も自由な理論体系は数学で、ルールはそれこそ「なんでもあり」なのだから、面白い定理や役立つ結果が出てくればどのようなルールを設定しても構わない。
事実我々は時間を表すときに、「11+2=1」(11時の2時間後は1時)という体系を用いている。
 逆をいうとルールを決めるにも節操がなければならず、物理学や経済学の場合は現実の現象をある程度近似できることが要求されることは自明だろう。いくらワルラス流の線形の世界が美しいと言って、現実に対して無力であればただの数学的記号を用いた散文に過ぎなくなる。
よく経済学の実証分析を行った論文に「消費=α所得+誤差項」のような回帰式があったとして「符号条件はα>0」などという但し書きがなされていることがあるが、これは「流石に所得が大きければ消費も大きくなってもらわないと現実と合わない」という意味に他ならない。
理論と現実世界のフィッティングは、理論から演繹に弾き出された現実世界の予測値と現実世界におけるデータの実測値の差、あるいはパラメータの安定性によって測られることが多いと思われるが、ここで重要なのが「統計的なものの見方」だと考えている。

(続くかもしれない)

新・シルクロードを観ながら

国破山河在
城春草木深
杜甫『春望』)

**************************

 先日、家の中を片付けていたら
10年少し前に撮りためた「新・シルクロード」が出てきて
ちょっと片付けの手を止めて見入ってしまった。
その時妙な感じがしたので、ここに備忘的に書き留めておく。

**************************

 昭和55年に、NHKスペシャルで「シルクロードをやっていて
それを撮ったVHSテープが自宅にあり、好んでよく見ていた。
悠久とも言えるタリム盆地に、昔ながらのバザールをやっているさまをみて
自分もいつの日か西域に行きたいと思うようになった。
(その後治安が怪しいのと体調の加減で実現してはいないのだが)
歴史が好き、さらに「日本人はどこから来たのか?」を探るのが好きな自分にとって
シルクロードは歴史がそのまま保存されているような錯覚に陥らせてくれて
非常に心地がよかったのだ。

**************************

 タクラマカン砂漠、西端のカシュガル
昔からシルクロードの天山南路と西域南道が交わるオアシス都市だ。
40年前、この交差点は舗装もされておらず土埃の舞う
あまりにも牧歌的な道だった。

 それから30年。
道路は舗装され、近代的なビルが交差点を囲い
日干し煉瓦で作られた家が並んでいた通りは取り壊され
そこには瀟洒な商店が軒を連ねるようになっていた。
町は成長し、より豊かになっていた。

 それを見た時、本音を言うと非常に落胆してしまったのだ。

**************************

 長安の都が戦火に包まれても、ただ在ったのは山河だが
ここタクラマカン砂漠においては、河すらも不変ではない。
タリム川は雪解けの時を待たないと干上がったままであるし
楼蘭を支えたロプノール湖は、その位置を変えて旅人を悩ませた。

 敦煌の仏像、三蔵法師の物語だけを見れば
パミール高原以東のシルクロード仏教徒の道のように錯覚するが
ここは太古より戦乱が絶えない土地で、
目まぐるしく支配者が変わり、それごとに風俗も変わっていたのだ。

**************************

 悠久なるシルクロードとは幻想に過ぎず
絶えず変化するのがシルクロードである。
そこに僕は、勝手に「昨日的な今日」を期待してしまい
それが裏切られたからと言って落ち込むという、独り相撲を取っていたのだ。

**************************

 元来、成長とは変わることと不可分なはずである。
他者に対して豊かになってほしいとは、常に思っているのではあるが
それとは裏腹に変わらないことを望んでいたのだ…。

 この矛盾をどのようにうっちゃるか考えながら本棚を覗くと
学生の頃あれほど愛読したシュンペーターが埃をかぶって、
奥に押し込まれていたのだった。

ラーメン屋にて

 先日外出先で、中途半端な時間をうっちゃるがてら小腹がすいたので、
ラーメン屋の暖簾をくぐった。
食券を買ってそれを差し出してしばらくすると、
ラーメンが「へい!!お待ち!」という掛け声とともに出てきて
私はそれを湯気に隠れるようにすすりはじめた。

 不意にMy foolish heart が耳に入ってきた。
きっと店で有線契約しているであろう。洒落た調べであった。
その後も次々と品の良い曲がかかっていった。

 その時感じたのが、どうにも形容のし難い据わりの悪さである。
自分は現在、脂の浮いた色の濃いラーメンをすすっている腹の出た中年男であり
どう取り繕おうとも、Bill Evans の繊細な調べが似合う主体とは言えないのだ。

 その時はその違和感について不思議にも思わなかったのだが、
ラーメンの汁を飲み干して店を出た時、急に怪しげな気分になってきた。
さっき自分に「据わりの悪さ」を感じさせたものはなんだろう、と。

 よくよく考えてみると、ラーメンをすすりながらジャズを聴いてはならぬという法もなく
中年オッサンが洒落た場にいてはならぬという法もない。
さらに店内は店主と自分しかおらず、誰の目を気にするという場面でもなかった。
でも、やはり据わりが悪いのだ。

************************************

 こうしてみると、人が俗世間のいわゆる価値観から
完全に離れられる時間はあるのだろうかと、そう考えてしまう。
自分は自由気まま、勝手するままにふるまっているつもりでも
「俗世間のそれ」は、地球上のすべてが受ける重力加速度のように
まとわりついて離れないのではないか?
自分自身は勝手気ままにやっているつもりでも、
所詮は釈迦の掌で粋がっている孫悟空でしかないのか、と。

 「まっ、世の中そんなものだよな、、、」という乾いた笑いを自らに浴びせつつ
今宵もジャージ姿で、ショパンの調べに身を委ねるのである。