瓢箪鯰的な男の雑記帳

心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくる そんな雑記帳

ラーメン屋にて

 先日外出先で、中途半端な時間をうっちゃるがてら小腹がすいたので、
ラーメン屋の暖簾をくぐった。
食券を買ってそれを差し出してしばらくすると、
ラーメンが「へい!!お待ち!」という掛け声とともに出てきて
私はそれを湯気に隠れるようにすすりはじめた。

 不意にMy foolish heart が耳に入ってきた。
きっと店で有線契約しているであろう。洒落た調べであった。
その後も次々と品の良い曲がかかっていった。

 その時感じたのが、どうにも形容のし難い据わりの悪さである。
自分は現在、脂の浮いた色の濃いラーメンをすすっている腹の出た中年男であり
どう取り繕おうとも、Bill Evans の繊細な調べが似合う主体とは言えないのだ。

 その時はその違和感について不思議にも思わなかったのだが、
ラーメンの汁を飲み干して店を出た時、急に怪しげな気分になってきた。
さっき自分に「据わりの悪さ」を感じさせたものはなんだろう、と。

 よくよく考えてみると、ラーメンをすすりながらジャズを聴いてはならぬという法もなく
中年オッサンが洒落た場にいてはならぬという法もない。
さらに店内は店主と自分しかおらず、誰の目を気にするという場面でもなかった。
でも、やはり据わりが悪いのだ。

************************************

 こうしてみると、人が俗世間のいわゆる価値観から
完全に離れられる時間はあるのだろうかと、そう考えてしまう。
自分は自由気まま、勝手するままにふるまっているつもりでも
「俗世間のそれ」は、地球上のすべてが受ける重力加速度のように
まとわりついて離れないのではないか?
自分自身は勝手気ままにやっているつもりでも、
所詮は釈迦の掌で粋がっている孫悟空でしかないのか、と。

 「まっ、世の中そんなものだよな、、、」という乾いた笑いを自らに浴びせつつ
今宵もジャージ姿で、ショパンの調べに身を委ねるのである。